開話
変形4枚組
mixed media
2015
解題:
今回のテーマ「自然_nature」を読み解く鍵を探しました。かつて描いていた風景画を思い浮かべてみても現実感を感じられません。もっと直接的な何かとつながっているように思われ、[human nature_人の本性・本質」という意味で「自然」という言葉をとらえています。絵の制作とは本質的に、絵を一枚描く、その絵に費やす一回限りの時間を繰り返すことなのだろうと思います。「第一回絵画」「第二回絵画」「第三回絵画」・・・という具合に、死ぬまで続いていくのでしょう。また、物として作り出した画面上のイメージは、作者の意図に関係無く現実に開かれていることから、開かれた絵画=「開画」という言葉が浮かびました。絵画はイメージを伴う物として、より率直な物として作られ、見られるものと考えています。

2015_10/4
絵画のモチーフとしてはかつて写実的な風景画を沢山描いていたことがあって、そういう意味での自然ということかなと一瞬思ったのですが個人的には少し違っていて「自然な振る舞い」とかそういった自然な感じということの方が強く僕の中で自然という言葉が持っている意味合いみたいなものにしっくりくるなという結論に辿り着きました。
自然の世界とか環境というのはよくわかりません。今回のテーマを考えるにあたってこれまで制作してきた作品を見返しましたが全然それらを描く気にはなれませんでした。全然リアリティーを感じなかった。これはもう出来ないなという気持ちでいました。毎日生活をしているだけで手一杯。毎日繰り返し、繰り返し、起きてご飯を作って仕事に行って帰ってきてまたご飯を作って・・・という生活を続けているわけで結局絵を描いている自分からしか言葉を考えられない。自然をどう捉えるかと考える中で、これは「絵画を考える」という展示のための制作で、絵を描いている自分にとっての自然という捉え方しか出来ず、その自然をなんだろうと考えたときに難しいことを考えることも出来ず、生活をしている中で僅かな時間を使って絵に向き合っているということが自然なのかなという結果に落ち着きました。
何年か前からアンティーク仕上げの額縁作りにはまっていて、絵を描くことより額縁作りの方がはるかに時間がかかっています。今回もそういう額の中に入れる絵を先に考えなければいけないと思ったのですが額縁と絵が一体になってほしいという気持ちが強かったので、初めから中を塞いだ状態で額縁作りを始めてしまったんです。その結果こういった形になったのですが描いたものはほぼ消失してしまいました。何か形態を描き始めるといろんなモノにそれが見えてきてしまい、描けば描くほど違うイメージが次々とくっついてしまうんです。やっていくうちに段々頭がおかしくなってくる。気が狂い始めている感じがして一旦削除しようと思い全部消していったのですが、そのあたりからこういった形に繫がり、これも自然なことなんだなと。
2015_10/5
「人工的」という言葉は「人間のエゴが生み出した何かの度合い」を表しているように思います。編集工学の松岡正剛さんが「情報にはトゲトゲがあるんだよ。」と言ってましたが、物にはイソギンチャクやウニのような見えないトゲトゲ(触手)がいっぱいあって、そのトゲトゲ同士がつながりあっていて、トゲトゲが多いものほど『自然』と感じ、トゲトゲが少ないと感じにくいのではないかと思っています。人は自分の都合に合わせて物のトゲトゲを切り落として現実とのあいだに境界線を引く生き物です。人が生きていくために引かれた境界線には切り落とされたトゲトゲの選択に必然性を感じるので、(たとえ勘違いだとしても)『自然』の一部と考えるのではないでしょうか。必然性を伴わない境界線には人工的な冷たさがあり、その彼岸を『悪』と言うのではないか・・・と。
絵画に関して言うと、あらかじめ用意した【画面(絵画面)】と、その画面に描く【私】と、展覧会という【現実】との関係そのものが『自然』なのだろうと思います。そこに鑑賞者が介入してあらたな関係が生まれ、現実が広がっていくのでしょう。そういった関係と私の造形的な行為とのあいだには溝があります。私はその溝を跳び越える方法を知りません。

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